Twitterのトレンドを見ていると、不定期にLGBTの話題を見かける。
同性愛者やトランスジェンダーを指す言葉だが、いまでは名称も変化しつつあるらしい。Qが増えてLGBTQになっていたり、+がついたり、 あるいはSOGI(ソジ)と呼ばれる新しい概念が誕生していたり。
LGBTQとは、強引に一言で言ってしまえば「身体と心の性が一致した異性愛者以外の人たち」のことだ。
ただこの概念は、特定の特徴を持つ少数を多数から区別するための言葉であり、特殊な立ち位置にいる人たちという印象を与えることに繋がりかねない。
それだとまずいよね、ということで、すべての人が含まれるSOGIという概念が生まれたらしい。こちらは「性的指向と性自認」を意味し、異性愛などを含めたすべての人類が持つ性に関する特徴をあらわしているのだそう。
今回、このSOGIがTwitterで話題になったのは、企業におけるハラスメントがきっかけだ。
トランスジェンダーの会社員が、上司から執拗に性自認に関わる攻撃を受け続け、うつ病となった。このことが労災として認定されたらしい。
トランスジェンダー云々以前に、他人の名誉を傷つけて精神的に追い込む行為は、相手がセクシャルマイノリティだろうがなかろうがやってはいけないことである。本人が「嫌だ」と明言しているんだから。
今回の件はたまたま被害者がトランスジェンダーだったにすぎない。
少数派に向けられる厳しい視線
この手のセクシャルマイノリティにまつわる話題に出てくるたび、Twitterには多くの意見が投稿される。
よくあるのが、同性愛者に対しての「同性愛は病気だ。異性愛に矯正すべきだ」や、トランスジェンダーに対しての「自分は女性だから女性更衣室を使わせろなんて横暴だ。もし性自認を偽る輩が出てきたらどうするんだ」あたりだろうか。
同意できるものから首をちょっとかしげたくなるものまで内容は様々だ。
シスジェンダーや異性愛者が、マイノリティの置かれた状況を想像するのは難しい。けれど、自分の身に置き換えてみると少しはわかる部分も出てくる。
たとえば、もし女性が恋愛対象の男性が、「今日からおまえは男を好きになれ」と言われたらどうだろう。おそらく「いやいや絶対に無理でしょ」となるはずだ。恋愛対象の変更は本人の意思でどうにかできるものではない。
身体も性自認も女性である人が、「今日からあなたは男性更衣室で着替えてもらいます。トイレも男性用のほうで」と言われたら、はたして「はいわかりました」と素直に従うだろうか。答えは否である。こんなことを要求しようものなら一発アウトだ。
同性愛者やトランスジェンダーに対し「異性を好きになれ」「身体の性に従え」と要求するのは、こういうことを言っているのと同じなんだと考えると、議論して理解を深める必要があるように思う。
身体の性VS.心の性
社会において、シスジェンダーや異性愛者は誰からも問題視されないのに、トランスジェンダーや同性愛者となるとなにかと不利益を被ることがある。
「おまえ男なのに男が好きなの? 変なの」と言われることはあっても、「おまえ男なのに女が好きなの? 変なの」と言われることはない。
このセクシャルマイノリティとそうでない人との差をなくしたいというのが、セクシャルマイノリティにかかわる人々の想いだろう。
いまの社会は、「身体の性」を重視して成り立っている。
外からでは判断できない「心の性」よりも、一目見ただけで判断できる「身体の性」で区別するほうが、手間もかからないし誰にとってもわかりやすい。
だから「心の性」なんていう曖昧なものは無視される傾向にある。
その結果、マジョリティは自分の心に沿って生きられるけど、マイノリティは自分の心に嘘をついて生きることを強いられる。
もちろん、外見からその人の性的指向や性自認を判別できない以上、身体の性で更衣室などをわけることはいたって合理的であり、これは差別ではなく区別と言える。
本人の自己申告だけで身体の性と異なる更衣室を使わせたら、問題が生じることは火を見るよりも明らかだ。
だからといって、そのことをもってすべての権利を認めないと結論づけて議論を打ち切るのも、やや専横な考えのように感じる。
「身体の性」に重きを置くマジョリティと、「性自認(心の性)」に重きを置くマイノリティ。
両者の対立は、たぶんずっと平行線のままな気がする。性自認が簡単にわかるようになる技術が登場すれば、また話は違ってくるのかもしれないけど。
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