「楽しむ」とはどういうことか。
紹介文の一行目を見た瞬間、すぐさま購入ボタンを押した。いままさにぼくが抱えている悩みそのものだったからだ。
社会は娯楽であふれている。それこそ、一生かけても経験しきれないほどの量だ。本やゲームは次々と新しいものが発売され、技術の進歩とともに多くのアクティビティが誕生している。これほどまでに選択肢のある時代は、人類史上初めてだろう。
だというのに、なぜか毎日がつまらないと感じてしまう。楽しいことをしているはずなのに、楽しくない。なにをやっても満たされず、次々と新しい刺激を求める日々。そしてまた退屈におぼれる。あなたもきっと経験があるはずだ。
虚しさばかりを感じる生活から抜け出すためにはどうしたらいいのか? そもそも楽しさってなに? その問いに答えを出してくれるのではないかと期待して、この『手段からの解放 シリーズ哲学講話』を手にした。
シリーズとついているけど、この本から読んでもぜんぜん問題ない。
内容
本書は、「嗜好品」から始まる深い洞察を通して、「楽しむ」ことの本質、そしてなぜ現代では息苦しさをおぼえるのか、その理由を教えてくれる。考察の土台となるのはカント哲学だ。
では、その理由とはなにか?
めちゃくちゃざっくり言うと、物や行為それ自体をただ楽しむだけの機会がどんどん失われているからだ。
原因は大きくわけてふたつある。
- なにかを楽しんでいるつもりでも、実際はなんらかの目的を達成するための手段になりさがっている
- 消費を促す資本主義社会が、楽しさを享受する機会をぼくたちから奪っている
目的のための手段化
ひとつめの手段化について、これはめちゃくちゃ心当たりがある。
ちょっと前に書評ブログを始めたら読書ができなくなったという記事を書いたけど、まさにこれこそが手段化だろう。
書評ブログを始めるまでのぼくは、読書が楽しいから本を読んでいた。そこにそれ以外の理由はない。読書自体が快適さをもたらしてくれていて、ぼくはその快適さをただひたすら受け取っていた。
ところが、「知識を身につけたい」とか「ブログ記事のネタにしたい」とか、なんらかの目的を達成するために本を読むようになってから、読書が手段化していった。ひどいときは、読書の楽しさなんて関係なしに、ただただブログのネタを集める手段として本を読んでいたことさえある。
ぼくらの日常行為のほとんどは、なんらかの目的を達成するための手段として行われることが多い。受験勉強を頑張るのは希望の大学に入るという目的を達成するためであり、勉強が好きだからするわけではないというように。
一過性のものなら、度を越さない限りそれほど問題にはならないかもしれない。しかし、「ずっと健康でいたい」とか「お金持ちになりたい」とか終わりの見えないものが目的に設定されたら大変だ。日常のあらゆるものが目的達成の手段と見なされ、物や行為それ自体から得られる楽しさの入る余地がなくなってしまう。
ずっと目的に駆り立てられ続ける日々……どうだろう? 想像しただけでまあまあな地獄だと思わないだろうか?
社会による楽しさの剥奪
ふたつめ。楽しさを経験する機会が失われつつあることについて。
人がなにを好むか、それは人それぞれだ。ぼくは読書やゲームを遊ぶことが好きだが、みんなが同じものを好むとは限らない。そりゃそうだ。
しかし、こんにちの消費社会では、その原則が崩れつつある。
テレビやネットを通じてたくさんの「快適なもの」が発信され続けているが、このような情報に絶えず触れているとどうなるか。「ぼくはこれが好きだ」という判断を、みんなが同じ対象に対して下してしまうようになると著者は言っている。本来、人それぞれ違ったはずの好みが、消費社会によってコントロールされていくのだ。
この点のなにがまずいか。それは、自分が本当はなにを好きなのかわからなくなることだ。
自分では楽しいことが判断できない。だから、消費社会の言いなりになってしまう。虚しさを紛らわす手段として、外部から与えられたものを次々と消費していくようになる。
これじゃあ、心から楽しんで満足を得ることなんてできるはずがない。自分の経験を通さず、ただ外部からパッケージされたものを与えられただけなんだから。ぼくらは消費社会の術中にまんまとハマっているわけだ。
最後に
ちょっと長くなってしまったが、以上が本書の内容のうち、個人的に重要だと思った点である。
特に、ひとつめの手段化については、めちゃくちゃクリティカルヒットした。
内容はまあまあ難しい。そりゃ哲学だからね。仕方ない。だけど、この消費社会で生きていくうえで、決して欠かしてはならないポイントを本書は教えてくれる。
消費社会は、ぼくらがその物や行為自体をただ楽しむことを許してくれない。嗜好品を削り、人に成長を求め、快適さを求める時間を人に与えまいとしている。成長をもたらさない、ただ快適なだけのものは、不要品として排除されつつある。
なんらかの目的のためにひたすら動いてくれる人が望まれる社会。そんな社会で豊かに生きるためには、手段の呪縛から解放されなければならない。
「それって役に立つの?」「そんなことしても無駄じゃない?」うるせえ! ぼくが好きだからやるんだよ!
目的や手段に関係なく、それ自体で自分が楽しめるものをいかに見つけるか。それこそが大切なのだ。
もし、ちょっとでも興味が出たら、ぜひ本書を読んでみてください。
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