自分の好きなこと、好きなものを発信しようとしたとき、必ずぶち当たる壁がある。自分の感情を言語化できないという壁だ。
「この漫画が面白すぎてやばい! この感動をSNSで発信しよう!」そう思っていざ感想を書こうとして、手が止まってしまう。出てくるのは「すごい」とか「やばい」とか「泣いた」とかフワッとした平凡な言葉ばかり。違うんだよ! ぼくが表現したい感動はそんなざっくりしたものじゃないんだよ!
書きたいことがあるのに、なぜか書けない。あなたもそんなもどかしい思いをした経験があるのではないだろうか?
自分の中にぼんやり浮かんでいる感情を文章で表現することは、思った以上に難しい。慣れないうちはかなりの苦痛をともなう。「感想を書く? そんなの簡単だろ」と言うやつには読書感想文を10回ぐらい書かせてやりたい。
ぼくもこうしてブログ運営を続けているが、いまだに文章を書くのが苦手だ。どれだけ量をこなしても、いっこうに上達する気配がない。
職人よろしく、手本になるような文章を見つけて構成やら言葉遣いやらを丹念に分析して技を盗めば上達するのかもしれないが、そんな悠長なことはやっていられないし正直やりたくない。ぼくは手っ取り早く感情を言語化する方法を知りたいんだ!
ということで、よりよいブログ文章を書くために言語化能力に関する本を読むことにした。それが『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』である。
タイトルに「推し」と書いてあるが、別に推す対象はアイドルでも小説でもボードゲームでもなんでもいい。
なぜ書けないのか。どうしたら書けるようになるのか。文章でなにかを伝えたい人が一番知りたいと思う部分を、本書は明確にしてくれる。
著者は言う。言語化に必要な力は観察力でも語彙力でもなく、細分化する力だと。
たとえば「この漫画が面白すぎてやばい!」と思ったとき。
- なぜ自分は面白いと感じたのか?
- たとえばどのシーンが面白いと感じたのか?
- セリフが面白いのか、キャラクターが面白いのか、ストーリーが面白いのか?
このように、面白いと感じた理由を深堀りしていく。「自分は」「どこが」よかったのか。この面白さは「共感」なのか「驚き」なのか。感動したポイントを細分化し、メモしていく。すると、自分がこの漫画のどこにひかれたのかが、はっきり見えてくるようになる。
これが、細分化だ。
どういう感情をどうして抱いたのか。自分という人間を丁寧に紐解いていくことで、「自分だけの感情」を見つけ出す。
誰かに伝えたいポイント、すなわち文章の核が定まれば、あとは人に伝えるための工夫を凝らしていくだけだ。このあたりは文章術の出番となる。書いた文章の順番を入れ替えるとか、書き出しで読者の興味をひくような釣り針を垂らすとか、読みやすくするテクニックはいろいろとある。
同じ漫画を読んだとしても、みなが抱く感想は十人十色。もちろん中には似た感想もあるだろうが、なぜそう感じたのかというところまで掘り進めていくと、おそらく同じものはふたつとないだろう。
独創性があるかどうかなんて難しく考える必要はない。自分の感想を細分化し、それを自分だけの言葉で表現していけば、オリジナリティはおのずと生まれるのだ。
とはいえ、細分化さえできればうまくことが運ぶとは限らない。感想を書くうえで、障害となるものはたくさんある。そのうちのひとつが他人の意見だ。
SNSを眺めていると、嫌でも他人の感想が目に飛び込んでくる。めちゃくちゃ共感できる感想を見つければ「こんなにうまく言語化できている感想があるなら自分は書かなくていいかな」と思ってしまうだろうし、自分と真逆の感想を見つければ「あれ、もしかしてぼくの考えって間違っているのかな」と自信をなくしてしまうおそれがある。
他人の言葉の影響力は思いのほか強い。
ぼくもネットの評価に引っ張られて自分の感情をしょっちゅう見失いそうになる。前に名探偵コナンの映画の感想を書いたが、書き終える前にうっかりレビューをネットで検索してしまい、他人の言葉の影響を受けてしまった。あれはいまでも反省している。
自分だけの感想を書くためには、なによりも他人の言葉に振り回されないように注意しなければならない。他人の言葉に侵食されたら最後、自分だけの感情を取り戻すことは不可能に近いからだ。著者も自衛の大切さを説いている。せっかく推しを語るのだから、自分だけの言葉で表現したい。
他人の感想に触れる前に、自分の感想を細分化してメモする。これが、好きなことを語るときの鉄則である。
誰もが気軽に発信できる時代だからこそ、自分の感情を自分だけの言葉で表現することを大切にしていきたい。
コメント
勉強を教えたりするのは得意だけど自分の気持ちを表現するのは苦手