むかしは暇さえあれば本を読み漁っていたのに、最近はめっきり読書時間が減ってしまった。
しかも、いざ読む気が起きても手に取るのは自己啓発本ばかり。無職期間が長すぎたのだろう、ゆっくり物語を楽しむ余裕がなくなっている。それもこれも、わざわざ本を読むなら少しでも自分のスキルや生活の向上に繋がるものを読みたい、という思いが強すぎるせいだ。
感動よりもお金がほしい。
さて、東京への引っ越しが決まったことで、部屋の整理をする必要が出てきた。
2Kからワンルームへ。いま家に並んでいる本をぜんぶ持っていくには、新居の部屋はあまりに小さすぎる。そこで、何割か手放すことにした。断腸の思いだ。仕方がない。こういうとき、スペースをとらない電子書籍のよさを痛感する。読むときは断然、紙派だけど。
どの本を手放し、どの本を残すか。
その選択も兼ねて、積んでいた本を引っ越し前に読むことにした。最近ぜんぜん本を読めていなかったし、ちょうどいい機会だ。そう思うことにする。
ということで、2025年10月に読んだ本を紹介していこう。
野良犬の値段
はじめましての作家さん。『永遠のゼロ』など人気作をいくつも世に出していることは知っていたけど、なかなか読む機会に恵まれなかった。作者の個性が強すぎるせいかもしれない。今回は、満を持しての読了である。
ネットに突如出現した誘拐サイト。誘拐は本当に起きたのか? 犯人の目的は?
警察関係者やマスコミ関係者など、とにかく次から次へと新しい登場人物が出てくるので、最初は名前をおぼえるのが大変だった。ところがどっこい、緻密に練られた物語にすっかり魅せられて、上下巻であるにも関わらず気がつけば読み終えていた。こわっ。
先が気になる展開はもちろんのこと、登場人物たちも印象深い。特に、序盤に登場する飲食店勤務の男は、まるで自分を見ているかのようだった。
いつか本気を出せば、自分の力が覚醒して、大金も名誉も手に入れられるに違いない。そう考えている男の姿が、いまの自分と重なった。
ホームレスたちのことも、とても他人事は思えない。歳を重ねれば重ねるほど、正社員になれる可能性は狭まっていく。事実としては知っていても、こうして物語という形で示されると、受けるダメージは大きい。
「でも、私も含めてホームレスになる人間というのは、どこか弱い人間なんです」
『野良犬の値段(上)』161ページ
「弱い?」
「そう。なんとなく易きに流れるというか、根拠もなく大丈夫だろうと思ってしまうとか、危機感がないというか——ここ一番で逃げちゃうというか」
ミステリとしての謎解き要素はやや弱いように感じたけど、読みごたえは充分。社会の欺瞞に一石を投じつつ、それをここまでエンタメ性のある物語にまとめ上げた作者の手腕は、さすがの一言である。
ツバキ文具店
鎌倉にある文具店を舞台にした物語。
誰かに伝えたい想いがある。でも自分ではどうしても手紙を書けない。そんな事情を抱えた人たちが、代筆をしてもらおうとツバキ文具店にやってくる。
読み終えると、思わず手紙を出してみたくなった。最後に手紙を書いたのは、いつのことだったか。というか、書いたことなんてあったっけ。年賀状はあるけど。いまはもっぱらLINEですませてしまう。
手紙と一口にいっても、紙の種類や書く道具によって印象は大きく変わる。文章だけで終わらないからこそ、メールやアプリのメッセージよりも想いが伝わりやすいのだろう。
ただ、このご時世だ。まわりで手紙のやり取りをしている人の話は聞いたことがない。親や同級生など、ぼくだって書こうと思えば書く相手はいるけれど、「改まって書くのもなあ」と、つい恥ずかしさのほうが勝ってしまう。誰もやっていないことを自分がやるのは、勇気がいるものだ。
理想のご近所付き合いというか、こういう人間関係を築きたい、というお手本みたいなものが描かれていて、読んでいると心が温まった。
ときにはご飯をいっしょに食べ、ときには七福神めぐりをし、ときには花見を楽しむ。
そんな何気ない日常や季節のイベントをともに楽しめる友人がいる主人公のことを、ついうらやましく思った。現実は、こんないい人ばかりじゃないだろうけど。
特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来
弁護士じゃなくて弁理士? はじめて耳にする職業だ。
本書は特許をめぐるリーガルミステリー。特許侵害を理由に活動休止を迫られる大人気VTuber・天ノ川トリィを、八方ふさがりの状態からいかにして救うのか。
馴染みのない分野のお話だったけど、思いのほかすらすら読めた。その道に通じた専門家の書くミステリは、やっぱりおもしろい。知識欲も満たされて、ちょっと頭がよくなったような気分も味わえる。
パテントトロールとか専用実施権とかクレームチャートとか冒認出願とか、ちょくちょく出てくる聞き慣れない単語も、読めばだいたいの意味がわかるように書かれているから、ありがたい。
読書の醍醐味は、ふだん知ることのできない世界に触れられることだと思っている。弁理士、そして特許という世界の一端に触れることができて、充実した読書体験だった。
それにしても、特許を侵害していないと主張するために、複雑なトラッキング技術とか高度なテクノロジーにも詳しくないとならないなんて、弁理士の仕事って大変そう。

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