住めば都。「住めば」と条件がついている時点で、そこは都ではない

ひとりごと

住めば都。

どんな所でも、住み慣れるとそこが居心地よく思われてくるということ。

デジタル大辞泉(小学館)

この言葉を誰かが口にするのを聞くたびに、「ああ、そう思い込まないとやっていられないほど、この場所に住むのは不本意なことなんだろうな」、そう思わずにはいられない。

他人からこの言葉を言われているのを耳にするたびに、「居住地になんらかの不満を抱いている人を、うまく丸め込んでやろうっていう魂胆だな」、そういう気がしてならない。

そもそも、「住めば」と条件がついている時点で、そこは本物の都ではない。

住んでからわかる魅力もあるだろうけど、たいていは、住んでからわかる不満点で相殺される。

都のようだと感じる、すなわち居心地がいいと感じるのは、一種の慣れ、あるいは諦めに近い。

農業が好き、自然が好き、そんな人なら田舎も都になるだろうが、東京のような場所が好きな人が転勤などで田舎に飛ばされたとして、はたして都と思えるだろうか。

俺はここに住むしかない。だからここを居心地のいい場所と思い込むしかない。

たぶんそんな心理だと思う(少なくともいまの自分はそんな感じ)。

ないことと、あるけどそれを選択しないこととはまったく違う

田舎には存在しないものはたくさんある。映画館は隣町まで車を走らせないとない。パルクールを習いたいと思って検索しても近所に該当する教室はゼロ。ボウリング場もなければフットサルコートもない。あるのは田んぼと畑ばかり。

イベントもそうだ。アニメ、音楽、スポーツ、大きなイベントが開催されるのはいわゆる都会と呼ばれる場所に限られてくる。田舎に住んでいたら、電車を何本も乗り継いで行かなければたどりつかない地で開催される。

ない生活を重ねていくうちに、ないことに慣れてしまう。ないなら仕方ない、そうやって諦めてしまう。

前にどこかで、田舎には博物館や美術館が少なく、都会と比べて文化的なものに触れる機会が圧倒的に少ないという話を聞いたことがある。

博物館や美術館は生活必需品ではない。自分の住んでいる地域にそれらの施設がなかったとしても、生活が成り立たないなんてことはない。

いまやビデオ・オンデマンドが活発になったから、映画館に足を運ばないという人も多いだろう。

しかし、ないことと、あるけどそれを選択しないこととはまったく違う。

そこにあれば、なにかの拍子に急に興味をもったとき、気軽にチャレンジすることができる。
最初からなければ、あきらめるしかない。

「ちょっと絵を見てみたいなー」と絵画鑑賞に興味をもったとき、美術館が近くにあればすぐに足を運べる。美術館が近くになければ、お金をかけて遠方に足を伸ばすか、ネットの画像で我慢するしかない。
もしかしたら、すぐ行ける距離に美術館がないばかりに、せっかく抱き始めた絵画鑑賞への興味がいつの間にか消えてしまうかもしれない。

幻の都と本物の都

与えられた場所で楽しみを見つけられなければ、どこにいたって楽しさは見つけられない。

前にそのような言葉も聞いた。一理あるかもしれないが、必ずしもすべてがそうだとは言い切れない。

与えられた場所に、多くの選択肢があったほうが、やはり生き方の可能性は増える(選択肢が多いばかりに逆に選べなくなる、という場合もあるが)。

最初の興味は小さなものだ。少し時間が経てば、すぐに消えてしまう。その少しの時間が経ってしまうまでに、「これ、やっぱりおもしろい!」と思う機会を得られるかどうか、それが、興味を持続させられるかの分水嶺だろう。

無理やり都だと思い込んだ幻の都と、本物の都とでは、やはり違う。

コロナ禍で郊外への移住が増えているそうだが、それだって移住先は辺鄙な田舎なんかではなく、都市部への交通の便がそれなりにいい地域が多い。

住めば都。

この言葉を思い描かべること、それは心のどこかで現状に不満を抱いている証かもしれない。


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