書評ブログを始めたら読書ができなくなった

当サイトはプロモーションを含みます
ブログ運営

読書が好きだから書評ブログを始めたのに、気づけば読書ができなくなっていた。

理由はいろいろあるが、その中でも「読書」=「ブログのためのインプット」という意識がぼくの中に根づいたことが大きく関係しているように思う。

要するに、読書をそれ単体で楽しめなくなってしまったというわけだ

これまでは本を読み終えて終了だったのに、書評ブログを始めたことで、さらにその先を要求されるようになった。「本を読んだら感想をブログに書かないと!」という謎の義務感が生じ始めた。

面倒なことはついつい後回しにしたくなるのが人間だ。読書のあとに面倒な作業が待っていると思うと、本を読む気力が削がれていく。その結果、本から遠ざかる。

必ずしも感想を書く必要はない」と自分に言い聞かせて本を読み終えたら読み終えたで、今度は「せっかく読んだんだから記事にしないともったいないのでは?」という考えが頭をもたげてくる。

前門の義務感、後門のもったいないおばけ。なんだこれ。

本来、読書なんてただの娯楽のはずだ。勉強したい、アウトプットしたい、そういう姿勢も大切だが、無理にすることではないだろう。楽しいことは楽しいままでもいい。

むしろ、楽しくやれているときのほうが、本から多くのものを吸収できる。変に頑張ろうとすると、取りこぼすものも多い。「本を通してなにかを学び取ろう」と意気込んだばかりに読書が嫌いになって本を読めなくなったら、それこそ本末転倒だ

好きなことを仕事にするな、とよく聞くけど、たぶんこういうことなんだろう。

第一、嫌々書いた本の感想が、いい感想のはずがない

ぼくが初期に書いた記事を流し読みしてもらえればわかるけど、ぜんぜん熱が足りない。フワッとしすぎている。これなら140字にギュッとまとめてSNSに漂流したほうがまだマシだ。自戒のために記事を残しているけど、ぶっちゃけ削除したいとさえ思っている。

書こうと思って書くのではなく、書きたいから書く。感想とはそうあるべきだ。

「すごく面白い小説だった。この感動を誰かと分かち合いたい!」そんな強い思いが、文章を書くという面倒な行為の原動力になる。

ところがブログの更新を重視したばかりに、手段が目的になってしまった。

書きたいから書くのではなく、ブログ更新のために無理やり書こうとしている。なんていうか、歪んでいる。正常な状態とは言い難い。

もちろん、勉強のための読書も存在する。ただそれは、趣味の読書とわけて考えたほうがいい。読書すべてを勉強のためにしようとするのではなく、趣味の読書、勉強の読書とわけていく。なんでもかんでも一緒くたに考える必要はない。

いまではすっかり書評ブログをあきらめ、ブログ自体は雑記ブログという形で更新を続けている。「読んだ本は感想を書かなければならない」という呪縛からも解放され、おかげで少しずつ気楽に読書ができるようになってきた。たまに気が向いたときだけ、書評を書いている。たぶん、この形がぼくには合っている。

ただ、そのせいでブログタイトルと記事の内容がぜんぜん合わなくなってきているけど。本のことにぜんぜん触れていないのに、タイトルに「本」が入っているけど。詐欺では?

コメント

タイトルとURLをコピーしました