「なんとなく」で終わらせていた「好き」

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ひとりごと

自分の言語化がヘタすぎて泣きそうになった。

先日、といっても1か月も前の話だが、大学の学祭に足を運んだとき、写真サークルの展示を見る機会があった。そこで学生の方からアンケートの協力をお願いされた。

展示された写真の中から、気に入った作品と、なぜそれが気に入ったのか理由を書いてほしいというのだ。

ぼくはぜんぜん写真に詳しくなかったけれど、何十点も作品が並んでいれば、自然と気に入るものが出てくる。どの写真に対しても一律同じ感想を持つなんてことはない。必ずどこかで感情に凹凸が生まれる。どの写真もよかったけれど、やっぱり感じ方に差はあるものだ。

で、選んだ。

ところが、理由を書けなかった。

なんとなく好きだと感じたその「なんとなく」を、うまく言葉に表せなかった

ほんの小さな心の動きだ。油断していると見逃してしまうぐらい小さい。それでも、確かにぼくは「この写真が特によかった」と感じている。それなのに言葉が出てこない。なんでそう思ったのか、うまく表現できない。あー、もどかしすぎる!

きれい。カッコいい。エモい。

簡単な言葉なら出てくる。でも、なぜそう思ったのかというところまで追求しようとすると、途端にモヤがかかり始める。わからない。ペンを持つ手が止まった。

思い返せば、似たような経験はこれまでに何度もあった。

高校や大学時代、感想を書いてくださいと言われるたび、空欄がぜんぜん埋まらずに頭を抱えた。びっしり文字を書いている同級生を見ては、なんでそんなに書けるんだろうと不思議に思っていた。

興味の有無とか、感受性の強弱とか、違いはいっぱいあるだろう。語彙力があるかどうかも関係しているかもしれない。ただ、それだけではないはずだ。

自分の好きがわからないと、軸がぶれる

「自分はどんなことが好きなのか」ということがよくわかっていないから、他人から尋ねられても意見を返せない。「なんとなく好き」としか言えない。感情をうまく伝えられないことに、ぼくは改めて歯がゆさをおぼえた。

自分の好きを言葉に表すのは、自分を深く知るための一歩である。

「なんとなく」で終わらせていた「好き」を、これからは「〇〇だから好き」と言えるようにしたい。そのためにも、もっと感情を言葉にする練習を積もうと思う。

言語化に必要なステップは、前に本から学んだ。あとは実践を繰り返すのみだ。

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