ぼくは無職である。
今年の4月に無職4年目を迎えた。心躍らない3周年だ。世界中探しても、これほどめでたくない周年記念はなかなかないだろう。あなたにとっては新たな門出となった素晴らしい日かもしれないが、ぼくにとっては無職歴が更新された不名誉な日である。
公務員の職を辞したときは、まさかここまで自堕落な生活が続くとは思わなかった。自分のニート適性の高さに驚くばかりだ。まったくうれしくないぞ!
ニートの適性より社会人の適性のほうがほしかった
— らいむ@読書とゲーム (@raimu9418) March 12, 2024
さすがに特級呪物とまではいかないが、ダメな方向に相当尖っている自覚はある。しかし、見方を変えれば貴重なサンプルと言えるかもしれない。
そこで今回は、3年間無職を続けたぼくが、無職でいることのメリット・デメリットを紹介する。現役無職の生の声だ。無職の生態をその目に焼きつけろ! そして「こんな大人にはならないぞ」と反面教師にしてほしい。
無職でいることのメリット
まずはメリットの紹介。
時間がたくさんある
子供のころ、「夏休みがずっと続けばいいのになあ」と思ったことはないだろうか? そんなあなたに朗報がある。なんと無職になればその夢を実現できる! 失うものも多いけど!
仕事をしていたころは、朝9時前から夕方5時過ぎまで働くのは当たり前。残業があればさらに帰宅時間は遅くなり、自由に使える時間なんて雀の涙ほどしかなかった。
土日も仕事のことが頭から離れず、いまいち気が休まらない。場合によっては上司から電話がかかってきて、休日出勤を余儀なくされることもあった。休日とは?
無職になると、そういった時間の制約から解放される。
平日も休日も関係ない。7泊8日の関西旅行に出かけたり、平日の朝からコナンの映画を観に行ったり、好きなときに好きなことができる。昼過ぎまで寝るもよし、深夜まで遊び倒すもよし。定職に就いていたころは考えられなかったような生活だ。
こうしてブログ運営を続けていられるのも、ひとえに時間がたくさんあるおかげといえる。もし定職に就いていたら、家と職場の往復で体力を使い果たし、文章を書く気力なんてほとんど残っていなかったに違いない。
無職とは、人生の夏休みである。
人間関係のストレスが少ない
ストレスの原因の大半は人間関係によるものだ。組織に属している限り、理不尽な上司や反りの合わない先輩など、心の平穏を乱す敵と遭遇することは避けられない。
無職になると、そんなわずらわしい人間関係に悩まされることがなくなる。これはかなりうれしい。ストレスが減れば暴飲暴食や衝動買いの頻度も減り、穏やかな生活を送ることができる。
無職でいることのデメリット
次はデメリット。
お金がない
無職と引き換えに失うものは多い。そのひとつが、お金だ。
定職についておらず収入がないのだから当たり前だが、無職はお金の不安がついてまわる。
仕事を辞めた直後はまあまああった貯金も、いま残っているのはごくわずか。日に日に減っていく貯金残高を見るたび、心の平穏が少しずつ削られていく。真綿で首を絞められているかのようだ。
お金の切れ目は無職の終わり。最近はそのストレスのせいか、寝つきが悪くなってきた。このままだと生え際が後退しはじめるかもしれない。由々しき事態だ。
じわじわとストレスを感じる以外にも、お金がないことのデメリットは大きい。ふたつ、具体例を紹介しよう。
彩りのない生活
一人暮らしの無職を続けていると、生活に彩りがなくなっていく。支出を少しでも減らそうと生活を切り詰めるからだ。
クリスマスや正月が近づくと、ご近所さんはクリスマスリースやしめ縄を飾り出す。ぼくの家はどうかというと、なにもない。玄関のドアは相変わらず灰色一色だ。この3年間、季節を感じられるアイテムを部屋に置いたことは一度もない。
「クリスマスケーキや鏡餅を買わなくたって死にはしないから大丈夫」と強がりながらも、楽しそうにケーキを買って帰る家族連れを見ると、うらやましさがこみあげてきた。
無職のぼくがクリスマスや正月を感じられるのは、せいぜいソシャゲの中ぐらいだ。
インプットが少ない
初期費用の少ない読書やゲームは楽しめるが、イベントに参加するとか遠出するとか、そういったことがやりにくくなる。おもしろそうなものを見つけても、減り続ける貯金残高が頭をよぎり、二の足を踏んでしまう。
その結果、なにかを体験する機会が目に見えて減ってしまった。時間があってもお金がなければ、人生でできることは限られていく。
人との繋がりがなくなる
メリットの項目で、無職になるとわずらわしい人間関係に悩まされることがなくなると書いた。悩まされないというか、そもそも人間関係を失う。
会社にいれば嫌でも顔を合わせる人間の数は増えていくが、無職になると新しい出会いなんてまず起こらない。
昔からの友人に連絡をとることもできなくはないが、順当に年齢を重ねていった彼らは結婚して家庭を築いており、そうなると無職のぼくなんかに時間を割く暇なんてないだろう。会ってくれたらくれたで無理をさせたみたいで申し訳なさを感じる。
ここ最近、ぼくがしゃべった生身の人間はスーパーの店員さんぐらいだ。「カードでお願いします」「ありがとうございます」これが現役無職の会話である。
漢字を忘れる
無職が文字を書く機会なんてほとんどない。書いたとしても、せいぜい自分の名前と住所ぐらいだ。そんな生活が何年も続けば漢字忘れもひどくなる。
つい最近、読書ノートをとろうとしたら、漢字が出てこなくて困ってしまった。
「現象」を「現像」と書いてしまったり、「考」を「孝」と間違えてしまったり、もう散々だ。字の形はなんとなくおぼえているのだが、細かい部分になるととたんに怪しくなる。
書かないと忘れる。マジで。たぶん漢字以外にも抜け落ちているものは多そう。常識とか。
働く意欲がなくなる
時間に縛られずストレスも少ない生活を続ければ続けるほど、社会復帰したいという気持ちは弱くなる。人によっては労働意欲が戻ることもあるそうだが、ぼくのように無職生活の適性が高いと復帰は難しい。
そもそも、3年も無職を続けていたら、たとえ働きたくなってもどこも雇ってくれないだろう。ここまでくると、正社員として生きる道は途絶えたも同然だ。アルバイトで食いつなぐか、個人事業主として大成する道を模索していくしかない。
最後に
いまRPGMakerで作っているゲームを完成させたら、無職じゃなくてゲーム制作者と名乗っていきたい。
コメント
無職なんかじゃないさ…こうして[ほぼ]毎日ブログを更新している立派なブロガーじゃないか![白目]
普通に文才があるからそういう方向もありかもしれないっすね…
とりあえず1年お疲れ様でした
> こうして[ほぼ]毎日ブログを更新している立派なブロガーじゃないか!
ありがとうございます。これからもブロガーでいられるように、楽しみながらブログを更新していこうと思います
帰宅部だって立派な部活
ニートだって家で何かすればそれは仕事
>ニートだって家で何かすればそれは仕事
コメントありがとうございます。
見方を変えるのは大切ですね。励みになりました!