派遣切りにあったことをきっかけに、坂道を転がり落ちるようにホームレスへと転落した女性を描いた物語。
とにかく内容が重い。
にっちもさっちもいかなくなり、貧困の深みへとはまっていく様子が辛すぎる。
読みながら途中で何度も挫けそうになりました。先進国と言われる日本の中で、このような日常を送っている人たちがいるという事実に目を覆いたくなります。
テーマは貧困。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、ますます格差が拡大していくいま、貧困は私たちのすぐそばで大きな口を開けて待ち構えています。
家があり、仕事があり、いざというとき逃げ込める家族や友人がいる。それだけで自分がどれほど助かっているか、改めて突きつけられました。
価値観が一変すること間違いなしの一冊。
著者は畑野智美先生。
以下に感想を綴っていきます。
あらすじ
文房具メーカーで真面目に働いていたのに、派遣切りであっという間にホームレスへ転落した26歳の水越愛。漫画喫茶に寝泊まりし、町を彷徨ううちに「楽な稼ぎ方」を教わるがーーこうなったのは自分が悪いのだから誰にも「助けて」と言えない。私はどこで間違ったのだろうか?貧困女子を描く圧倒的リアル小説
『神さまを待っている』裏表紙
主な登場人物
- 水越愛(みずこしあい)……文房具メーカーに勤めるも、派遣切りにあってしまう。複雑な家庭環境で育つも、自力で大学を卒業した努力家。貯金が底をつきたあとは漫画喫茶に寝泊まりをするように。
- 雨宮(あまみや)……区役所の福祉課に勤める。愛とは高校からの付き合い。陽気な性格だがガンコ。愛のことを気にかけ、何度も安否の確認のメッセージを送る
- マユ……漫画喫茶に宿泊していた女性。愛と意気投合し、彼女に楽な稼ぎ方を教える
- ナギ……十六歳の少女。家を飛び出し、泊めてくれる男性を探すため夜の町を彷徨う
- サチ……おっとりした女性。2人の子どもの養育費を稼ぐため出会い喫茶で身体を売る
感想
少しずつ壊れゆく日常
派遣切りにあい、職を失った主人公の水越愛。
失業保険を受け取りながら職を探すも、採用はなかなか決まらない。
アパートに戻ると、郵便受けに入っていたのは友人の結婚式の招待状。
失業保険はもらえるし、貯金もある。お金をかけなくても充実した生活を送っていける、そう自分に言い聞かせながら、夏の最終セールを利用しセレクトショップで服を買い、百円ショップで揃えた化粧品でメイク。
ご祝儀の3万円もなんとか絞り出し、愛は結婚式に出席。しかし、そこで味わったのは、華やかな友人たちと職を失った自分との決定的な差でした。
アルバイトの面接に向かうも落とされ、税金の支払いに貯金を切り崩すように。
やがて貯金も底をつき、アパートの解約を余儀なくされます。
家を失った愛がたどり着いたのは漫画喫茶。ナイトパック、8時間1,500円。
21時から翌朝5時まで愛はここで過ごすように。
ページをめくるたび、少しずつ、でも確実に悪くなっていく愛の状況。まるで最初からそう決まっていたかのように、深い貧困の泥沼へとはまっていきます。
真綿で首を絞められるように少しずつ追い詰められていく様子を見て、苦しさと恐ろしさをおぼえました。
友人の雨宮などからは心配する声がメッセージで届けられますが、自分の現状を知られて軽蔑されることを恐れた愛は、返信をしません。
思えば、このときはまだ、頑張ればなんとかなると愛は考えていたのかもしれません。
しかし、事態は一向に好転する兆しを見せず、それどころかますます悪化の一途をたどります。
漫画喫茶で出会ったマユと名乗る女性の紹介をきっかけに、風俗一歩手前の出会い喫茶で働くことになった愛。
やり直すための資金を貯めるまでの辛抱だと自分を騙しながら、見ず知らずの男からお小遣いをもらう日々。当然、平常心でいられるわけがなく、愛は常に後ろめたさを感じ続けます。
当たり前に存在していたはずの日常が崩壊していく一連の描写が、とにかくリアルすぎでした! 余裕を失い、身も心もやつれていく様に思わずゾッとしてしまいます。
いつだって戻れると思っていたはずの場所は、日に日に遠くなっていく。
『神さまを待っている』 174頁
親ガチャと貧困
本書には主人公のほかに、さまざまなバックグラウンドを抱えた女性たちが登場します。
奨学金の返済のために生活基盤を手放したマユ。
2人の子どもを育てるシングルマザーのサチ。
実の親から性的虐待を受けて家を飛び出したナギ。
最近、親ガチャという言葉が世間を賑わせました。
あまり使いたくない言葉ですが、家庭環境によって子供の暮らしに天と地ほどの差が生じるのは事実であり、一概に否定できないのが現実です。
現に、主人公の愛も、奨学金に苦しむマユも、親との関係が良好であれば、親にそれなりの資金があれば、漫画喫茶生活を送ることも出会い喫茶に足を踏み入れることもなかったはずです。
貧困に陥った人に対して自己責任論をぶつける人を多く見かけますが、努力だけでは乗り越えられないことも数多くあります。
「勉強してこなかったせいだ」といっても、誰もが学生時代、学業に専念できたわけではないでしょう。
「探せば仕事なんていくらでもある」といっても、明日の食費や宿泊費さえ不安な状況では、本人に探すだけの気力が残されているかは甚だ疑問です。
たとえが悪いですが、大事な受験当日の緊張感のまま、ずっと日々を過ごしているようなものではないでしょうか(生活が困窮したことのない私が想像できる、最も過酷な状態がこれです)。私の場合、試験当日は目の前の試験のことばかりが頭を占め、それ以外のことはまるで手につきませんでした。
思考力が奪われた状態で、最適解を導いて実行に移せというのは非常に難しい。
SNSで有名なプロ奢ラレヤーという方は、口座にお金が2万円しかなくても特に不安にならないとおっしゃっていました(著書『嫌なこと、全部やめても生きられる』)。ただ、そのようなメンタルの持ち主はかなり稀でしょう。
少なくとも自分は、本などのモノに頼らなければ生きる楽しみや喜びを見つけられないタイプの人間なので、貯金2万円だと発狂します。
最低限度の宿とご飯、そして少しばかりの娯楽がほしい。
これは決して高望みな生活水準ではないはずです。憲法25条でいう健康で文化的な最低限度の生活の範疇でしょう。
しかし、その最低限度の生活すら送れない人たちがいる。
パンデミックが続く限り、今後似たような状況に陥る人が続出するはずです。もしかしたら、自分自身がそうなるかもしれない。
そうなったとき、どうすればいいのか。
物語の着地点では明るい兆しが見えたものの、貧困を抜け出すにはやっぱり「神さま」に出会うしかないのか、結局は運頼みになってしまうのか、という気持ちにさせられました。
もし「神さま」に出会えなかったら……。
命を守るためのお金であり、お金を稼ぐために生きているわけじゃない。
『神さまを待っている』 284頁
貧困というのは、お金がないことではない。
『神さまを待っている』 293頁
頼れる人がいないことだ。
最後に
最近、ひろゆき氏の『無敵の思考』という本を読む機会がありました。その中で「成功する人はホームレスになる覚悟がある人」という趣旨の記述がなされていたのをおぼえています。
ホームレス生活がどのようなものか、生きているうちに実感するのは難しいですし、実感したときには手遅れです。
河原や公園の隅で野宿を経験してみたところで、帰ることのできる家がある以上、本当の孤独や恐怖は味わえないでしょう。
本書は、家や職を失った場合にどのようなことが起こるのか、どのような選択に迫られるのか、擬似体験できる物語です。一度貧困に陥ってしまえば、もとの水準に戻ることは容易ではないと突きつけられます。
貧困が他人事ではない世の中だからこそ、多くの人に読んでもらいたいと思える小説でした。
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