『転ばぬ先の本』ではコメント欄を解放している。
現実で人と触れ合う機会がほとんどないぶん、せめてブログでは読者の方との繋がりを得たい。そんな思惑が根底にある。
このブログは2019年3月から始まっているが、おかげさまで数多くのコメントをいただいてきた。
とはいえ、いいことばかりではない。
送られてくるコメントの大半は好意的だが、中にはやべぇコメントもちらほら見かける。油断していると思わぬ精神的ダメージをくらうことも。
なんてこんなに殺傷力の高い言葉を投げつけることができるんだ! ぼくだって生身の人間だぞ!
そこで今回は、ブログにコメント欄を設置した場合のメリット・デメリットを、体験談を交えながら紹介しようと思う。
ブログでコメント欄を設置しようかどうか迷っている人は、ぜひ参考にしてほしい。
コメント欄を設置するメリット
モチベーションにつながる
ブログは孤独との戦いだ。
SNS隆盛の時代、個人ブログにわざわざ足を踏み入れる者は少ない。アクセスの低迷は、そのままやる気の消失に繋がってしまう。
人間、なにかしらのメリットがないと、なかなかひとつのことを続けられないものだ。
金銭目的で始めたブログなら、収入が増加することで満足感を得られるだろう。しかし、趣味として始めたブログだとそうはいかない。別の救済措置が必要になってくる。
そんな趣味的ブログ運営を続けていく上で心の支えとなるのが、読者からの反応だ。特に、好意的な反応をもらえるとめちゃくちゃ嬉しい。
誰かの役に立つことは至上の喜びである。現実世界ではお荷物でも、ここでなら自分が認められる、そんな気持ちになれる。一度経験してしまったら、もうもとには戻れない。新たなコメント欲しさに文章を書き続けるしかない。悲しき承認欲求モンスターの誕生である。
頑張って文章を書いた甲斐があったよ!
最近はゲームのことばかりで、書評ブログとしては影も形もなくなっているけど!
すっかり参考にならなくなってしまったのが心苦しいけど!
ぼくのぶんまで書評ブログを頑張ってほしい!
もっといっぱい書く!
新しい知見を得られる
コメントから得られるのは、なにもやる気だけではない。ときには、新しい情報や発見を得られることもある。
たとえば、『キミガシネ ―多数決デスゲーム―』というゲームは、ブログに書き込まれたコメントをきっかけに遊び始めた。読者の方から教えてもらわなければ、おそらくこのゲームを知ることはなかっただろう。
自分ひとりで収集できる情報には限りがあるし、なにより興味のある分野以外については疎くなりがちだ。触れる機会も少ない。異なるアンテナを持つ他者と関わりを持つことは、そうした欠点を補ってくれる。
ほかにも、『ゼノブレイド3』の考察を含んだ記事では、いくつかの意見がコメント欄に寄せられた。自分とは異なる視点で書かれた考察を見ると、「こんな考え方もできるのか」と理解が深まるし、なによりおもしろい。
これも、コメント欄がなければ得られなかったメリットだ。
間違いを指摘してもらえる
本来あってはならないことだが、文章を書いているとどこかしらに間違いや誤字脱字が生じてしまう。
どれだけ見直したとしてもミスはなくならず、かくいうぼくもこれまで何度かやらかしている。東と西を間違えたり、エムとエヌを間違えたり。
こうしたミスは、なかなか自分では気づきにくいものだ。コメントで指摘されて、はじめて誤りを認識する。
コメント欄がなければ、いまだに間違いは放置されたままだっただろう。想像しただけで恐ろしい。
ありがとうございます! ぼくのブログは、みなさんの助言に支えられています!
コメント欄を設置するデメリット
悪口を書かれる
ブログに届くコメントは、ぜんぶがぜんぶ好意的なものではない。
批判ならまだしも、中には純度100%の悪口も存在する。
とはいえ、誹謗中傷コメントがつくのはブログの知名度がそこそこ上がってきてからのことだ。アクセスがなければ、そもそもコメントなどつかない。
見方を変えると、誹謗中傷コメントがつくのはブログが成長した証ともとれる。
あ~とうとう誹謗中傷コメントが送られてきたか~ぼくのブログの認知度も高まってきたのかな~。
そう思うと、こんなコメントでもちょっと嬉しく……なるわけないだろ!
こんなので嬉しくなるとかどこの変態だ! 意気消沈しかしないよ!
ホラーゲームに出てくる怪文書か?
こんなコメントを書いている暇があったら、いますぐブラウザバックしたほうがいい。
そのほうが、ぼくもあなたも幸せになれるはずだ。
え、まさかのそこ!?
確かに、ポケットモンスター スカーレット・バイオレット では「ライム」という名のジムリーダーが登場する。
しかし待ってほしい。ブログのURLを見てもらえればわかるとおり、ぼくがライムの名前を使い始めたのはブログを立ち上げた2019年3月からだ。
この時点では、スカーレット・バイオレットはおろか、ソード・シールドですら発売されていない(ソード・シールドが発売されたのは2019年11月15日)。
つまり、ぼくが2019年3月にスカーレット・バイオレットのジムリーダーの「ライム」を知っていたとすれば、それはもはやパクりではなくて未来予知である。Q.E.D.
このように、コメント欄を解放していると殺傷力の高いコメントがそこそこの頻度で飛んでくる。
見るにたえないコメントは届くたびに即効でゴミ箱へぶち込んでいるが、やっぱり嫌なものは嫌である。
荒れる
誹謗中傷コメントは、なにもブログの管理人であるぼくだけに向けて書き込まれるわけではない。
ときには別のコメントに対して攻撃的なコメントがつくこともある。
ひとりが別の人のコメントにかみつき、それを見たまた別の人がネガティブなコメントを書き込む。そうした悪循環が続くと、気づいたときにはコメント欄が大荒れしている。
ぼくも嫌だよ!
「ゾロアかわいい!」とか「このブログ好き!」とか、もっと平和なコメントでいっぱいになってほしいよ!
なんでこんなに殺伐としているんだ!
ほかにも、別人のハンドルネーム(名前)を真似てなりすましを行う者がいる。
ブログのコメント欄は、誰でも好きな名前を書いて投稿することが可能だ。SNSのように登録制ではないため、同じ名前であっても同一人物かどうか判断するのは難しい。なりすまされた人の申告があって、はじめてなりすましが行われていたと気づく場合がほとんどだ。
たまたま名前が被ってしまっただけならまだしも、意図的に真似られたものだとしたらいい気はしないだろう。
管理に手間がかかる
贅沢な悩みだが、寄せられるコメントの量が多くなればなるほど管理の手間も増えてくる。
送られてきたすべてのコメントに目を通し、質問なら返信を書き込み、誹謗中傷コメントならゴミ箱に突っ込む。
作業量は増えるし、気分も上がったり下がったり乱高下して落ち着かない。新しいコメントが届いていないか気になるあまり、ブログのメイン作業である執筆が手につかなくなることもしょっちゅうだ。これを本末転倒という。
以前はコメントが書き込まれるたび反応するようにしていたが、最近はさばききれなくなったので読むだけに留めるものも多い。返信できないときもあるけれど、悪しからずご了承ください。
結論
コメント欄の設置は一長一短。
好意的なコメントがくれば「自分のブログが誰かに見てもらえている!」という実感を得られるし、誹謗中傷コメントがくれば心が鉛のように重くなり食事がのどを通らなくなる。
最初はコメント欄を承認制で解放しておいて、「自分には向いていないな」と感じたら、即効閉じるのがいいかもしれない。
コメント
コメント欄の運営も大変ですね…
キミガシネ推薦したの私なので覚えてていただいて嬉しいです
昔の記事を見返すとなかなかヤバいコメントがあったりしますが(今もある)わざわざ見に来て誹謗中傷してるのは一周回ってファンなので今後も気にせず頑張ってください
初コメです。
ルビサファ以来のポケモンSVにハマり、色違い探しにネット検索してライムさんのブログに辿り着きました。大変分かりやすく解説して頂き、ここを参考に捕まえた色違いは軽く3ボックスはあるかな?本当にありがとうございました!
ポケモンSVの他にもゼルダもプレイしているようですが、双方ともライムさんがプレイした感想などの日記?記事がないので、残念な色違いランキングやリージョンフォームなどの所見のように、ライムさんの視点でプレイして感想したランキングや難しかったボスなども見たいなと思いました。ご検討いただければ幸いです〜
にゃんこ大せそうお願いします。
こんにちは。覚えているか分かりませんがお久しぶりです。やっぱり大変ですよね、、、やっぱりいい所があったらダメな所もある、、、また逆も然り、、、ですがイデオンさんのようにわざわざ見に行って書いているということは礼をしたいけどできないみたいな人かも、、、?でも誹謗中傷していい理由にはなりません!それに主さんにはしたってくれる方もいるので大丈夫、、、とは言えないですよね、、、でもそういう人がいるってことは逆にファンも多いということだと思います!これからも影ながら応援させていただきます!
ライムさんひどいコメント受けて可哀想
ライムさんこれからも投稿楽しみにしております。
FF出来るならでいいのでやってみてください。
ライムさんのサイトのコメントにこんなのあったんだゴミ箱行きにしてるから知らないのかなあとなりすましはちょっと前のやつですよね…サイトの運営ってもともと想像してるより大変そう。後絶対傷ついてるのにサイトでは誹謗中傷コメントに突っ込んで面白くしようとしてるのがスゴイ。とりあえずこれからも頑張ってくださいww
みなさん温かいコメントありがとうございます。
今後も自分なりの感想や経験をまじえた文章が書けるように精進します。