『昨日がなければ明日もない』宮部みゆき(著)感想

書評

杉村三郎シリーズの5作目となります。

シリーズものですが、過去作を読んでいなくても十分楽しめる物語です。

かくいう僕自身も、過去作のうちほかに読んだのは4作目『希望荘』だけですが、特に戸惑うことなく本書を読み進められました。

あらすじ

若い主婦が自殺未遂をして音信不通となった。その裏で起きていた陰惨な事件とは?(絶対零度)。近所に住む主婦の依頼で出かけた結婚披露宴で、杉村は思わぬ事態に遭遇する(華燭)。ある奔放な女性が持ち込んできた、「子供の命がかかっている」問題とは?(表題作)。探偵vs.ちょっと困った女たちの事件簿。 解説・杉江松恋

昨日がなければ明日もない

感想

裏表紙のあらすじには「探偵vs.ちょっと困った女たち」と書かれてますが、ちょっとどころではありません。特に、表題作でもある『昨日がなければ明日もない』に登場する朽田美姫は、実生活では絶対に関わり合いたくない女性です。

本書には3つの中編が収録されていますが、どのお話にもゾッとするような悪意が描かれています。よくここまで嫌な人を描けるなと宮部みゆき先生の筆力には脱帽しました。

じわじわと侵食してくるような悪意に目を逸らしたくなることもありましたが、それでもページをめくる手が止まらず、一気読みしてしまいました。

ストーリーが二転三転し、まったく飽きません。

絶対零度

第1話の『絶対零度』では、自殺未遂をして病気に担ぎ込まれた娘に面会できない母親が、その理由を探るよう探偵事務所に依頼するところから始まります。

肉親ですら面会を拒絶され、会えるのは娘の夫ただ一人。その夫は、「自殺未遂の原因は毒親である母親が原因だ、だから母親を妻に会わせるわけにはいかない」そう言い張ります。

病院という空間はどことなく閉塞的な印象を受けます。だからでしょうか。本当に彼女は無事なのか。妻(依頼人の娘)はもう退院できるのに、精神的にまだ不安定だからなどと夫が周囲に嘘をついて妻を病院から退院させまいとしているのではないか。妻は病院に閉じ込められているのではないか。そんな嫌な想像ばかりが働きました。

夫の佐々知貴は悪い意味での体育会系です。先輩に従順に従い、そのためには妻の意向ですら退ける人物だということが、依頼人やその家族の話から明らかになります。

その夫の身辺を洗ううち、ひとりの男が佐々知貴と接触。
素性を探るにつれ、やがて杉村は、夫が妻を隔離しようとした本当の理由、自殺未遂の裏で起きていたもう一つの惨たらしい事件の存在にたどり着きます。

事件の全容を知り、じわじわと人間関係に追い詰められる様子が、まるで一度はまったら抜け出せない蟻地獄のようだと思いました。

救いのない終わりに、ただただ胸を痛めることしかできませんでした。

華燭

第2話『華燭』では、近所の主婦・小崎佐貴子の代理人として、杉村が見ず知らずの人の結婚式に参加する物語です。

結婚式当日、いざ会場のある建物に向かうと、なぜか参加者がラウンジで待ちぼうけをくらっているのを目にします。

話を聞くと、杉村が参加するはずだった「品田家・宮前家」の式だけではなく、同じ日に同じ建物で式を開くはずだった「石川家・菅野家」の式も同様に始まらない様子。

困惑する杉村でしたが、さらに追い打ちをかけるような出来事が発生します。なんと、階段の隅でウェディングドレス姿の花嫁とばったり遭遇してしまうのです。

どうやらその花嫁、式の直前になって逃げだしたようで――。

小崎佐貴子はなぜ家族と絶縁したのか。2組の新郎新婦の挙式はなぜ始まらないのか。なぜ新婦が式の直前になって逃げ出したのか。

それぞれの事情の裏には、人間の身勝手さが隠されています。家族の仕打ちとしてはあまりにひどすぎると思いました。

ほかの2編よりは、全体的に軽いお話となっています。あくまでほかの2篇よりは、ですが。

昨日がなければ明日もない

『昨日がなければ明日もない』で登場するのは、朽田美姫という奔放な女性です。

「子どもの命がかかっている」と言って杉村に依頼を持ち込みますが、その内容は突拍子もないものでした。

美姫は一哉という男と結婚し息子をもうけましたが、のちに離婚。息子・竜聖は夫である一哉が引き取ります。その息子が、集団登校中に車が突っ込んでくるという事故に巻き込まれてしまいます。

幸い、竜聖は一命をとりとめます。ところが美姫はこの事故を、息子を殺そうとしている陰謀だと言い張り、別れた夫の家族を攻撃します。夫の家族が竜聖を邪魔者扱いし、排除しようとしていると言うのです。

この段階で美姫が相当厄介な人物であることが窺い知れます。

朽田美姫は自分の都合のいいことしか言わない自己中心的な人間として描かれます。

彼女の主張が根も葉もないことは一目瞭然であるのに、そのことを指摘しても受け入れようとしない。さらには子どもを利用して金をむしり取ろうとする。

厚顔無恥で傍若無人な振る舞いには呆気に取られるほかありませんでした。

こんな人実際にいそう、と思えるからこそ恐ろしい。

もし自分がこのような人物に絡まれたら逃げることができるだろうか。そんなことを考えました。

トンデモ主張の依頼から始まった物語は、やがて驚愕の展開を迎えることになります。

美姫と関わったばかりに人生が狂わされていく人を見るたび、気分が重く沈みました。

印象に残った文

「お酒さえ飲まなければ、ギャンブルさえしなければ、浮気さえしなければいい人ってのは、それをやるから駄目な人なんだって」

昨日がなければ明日もない 145頁

「<水に流す>って、加害者の方が言う言葉じゃない。それを口に出せるのは被害者の側だけだって(後略)」

昨日がなければ明日もない 257頁

人は誰もが独り、時の川をボートを漕いで進んでいる。だから未来は常に背後にあり、見えるのは過去ばかりだ。

昨日がなければ明日もない 299頁

最後に

人間の醜い部分がこれでもかと思うぐらい生々しく描かれた作品集です。

歪んだ人間関係を放置しておくと手遅れになってしまう。自分が壊れる前に逃げなければ取り返しのつかないことになると思い知らされました。

真相にたどり着こうと調査するにつれて明らかになっていく悪意の数々。バラバラだったピースがカチリとはまり、ひとつの像を描き出す流れは見事としか言えません。

杉村や彼を取り巻く人物と、毒のある人たちとの落差には目眩がしました。人間、ここまで違う存在になれるのかと。

杉村の優しさや彼を支える人たちの存在が唯一の救いです。爽快な読後! とはなりませんが、クセになる面白さです。

次巻も楽しみ。


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