『僕たちにデスゲームが必要な理由』持田冥介(著)感想

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書評

本書は、第26回電撃小説大賞における隠し玉として刊行された小説です。

著者は持田冥介先生。表紙イラストはLOWRISE先生。

いやいや、デスゲームが必要だなんて、いったいどういうこと? 書店で本書のタイトルをはじめて目にした際は、首をひねらずにはいられませんでした。殺し合いなんて絶対無いほうがいいでしょ!

というわけで、読んでみました。

あらすじ

生きづらさを抱える水森陽向は、真夜中、不思議な声に呼ばれ辿りついた夜の公園で、衝撃の光景に目を見張る――そこでは十代の子供達が壮絶な殺し合いを繰り広げていた。
夜の公園では、殺されても生き返ること。ここに集まるのは、現実世界に馴染めない子供達であることを陽向は知る。夜の公園とは。彼らはなぜ殺し合うのか。殺し合いを通し、陽向はやがて、彼らの悩みと葛藤、そして自分の心の闇をあぶりだしていく――。“生きること”を問いかける、衝撃の青春小説誕生!

『僕たちにデスゲームが必要な理由』

主な登場人物

  • 水森陽向……高2。夫婦仲の冷めた家庭に息苦しさをおぼえている。ある日、夜の公園に導かれる
  • 阿久津冴絵……名家のお嬢様。剣道部の元エース。夜の公園では無敗を誇る
  • 村瀬幸太郎……高3。夜の公園で、水森と最初に言葉を交わす
  • 影野……夜の公園における審判。夜の公園にいることを許された唯一の大人

感想

強烈なシーンから始まる衝撃的な物語

圧倒された。ただただその言葉に尽きます。膨大なエネルギーをもろにぶつけられたような読後感でした。

最初は、やけに描写があっさりしているな、説明的だな、と感じていましたが、読み進めるうちにそんなことが気にならなくなるぐらい、物語に没頭してしまいました。むしろ、この淡々とした文章だからこそ、独特な雰囲気をまとえているのかも。

タイトルのインパクトが大きいですが、出だしのシーンもなかなか衝撃的です。なにしろ首を切り落とされた少年が転がっているんですから。「読者の興味を惹きつけるために最初のページには死体を転がしておけ」となにかの創作ハウツー本で読んだ気がしますが、なるほどこういうことかと合点がいきました。確かに、すっかり物語の中に引きこまれました。

度肝を抜かれる開幕シーンだというのに、主人公・水森の語り口は妙に抑制が効いています。驚いてはいるものの、驚きが文章に反映されていない。その落差が、よりいっそう物語の異質さを際立たせている、そんな印象を受けました。

殺し合いの中で浮き彫りになる闇

デスゲームというと、強制的に集められた参加者が命懸けで戦うものを想像しますが、本書の場合は少し違います

参加は自由。バトルロワイヤル的なものではなく、戦いたい人同士が互いに了承して異能を使って戦う、というもの。

そもそも、実際に人が死ぬことはありません。首を切られようが身体の一部が欠損しようが、痛みを感じることもなく、少しすればあっという間にもとに戻ります。夜の公園には、そういう不思議な力が働いているのです。仮想空間に近いと言えるでしょうか。

なので、生き残るため手に汗握るような頭脳戦を繰り広げる、というわけではありません。

夜の公園に集められるのは、現実世界で生きづらさを感じている少年少女たちです。

彼らは、自分の悩みを解決するため、あるいは、自分がなにに悩んでいるのかを知るために、夜の公園に集い、ときには誰かと殺し合いをすることで、前に進もうとします。寄るべない子供たちが、夜の公園という不思議な空間で、本気でぶつかり合えるものを求めて行動するのです。

次々に規制が増えていく世の中。建前を並べ、檻の中に押し込めようとする大人たち。理不尽ばかりが横行する世界の中で、道を見失った子供たちが行き着く先、それが夜の公園です。

自分という存在、個性の意味、家族との軋轢。誰もが持ち得るであろう苦悩。そんな悩みを持ち、言葉に上手くできない感情に戸惑い傷つく彼らが、殺し合いの果てにいったいどんな答えを見つけるのか――。

少年少女が答えを知るための舞台を、デスゲームに選んだ作者の発想力には目を見張るばかりです。

拳で語り合う、とはちょっと違うかもしれませんが、本気でぶつかることのできる相手がいるっていうのはいいですね。

十人十色な子供たち

夜の公園には、小学生から高校生までの多くの子供たちが集まります。

前述した主要人物以外にも、名前が明かされる少年少女がほかに6人ぐらい登場します。

皆、一癖も二癖もある人たちばかりです。

彼ら彼女らもなにかしら悩みを持っていますが、その詳細や解決策を見つけたかどうかまでは、作中では深く触れられません。

今後、なにか別の形で、ほかの人たちにスポットライトを当てた物語も読めたらいいなと思います。

印象に残った文

どれだけ苦しかったら「苦しい」って訴えてもいいんだろう。

『僕たちにデスゲームが必要な理由』 55頁

どちらの未来も、怖い。

進み続ける未来も。立ち止まってしまう未来も。

『僕たちにデスゲームが必要な理由』 70頁

他人のことは、わかりやすい部分しか目に入らない。

『僕たちにデスゲームが必要な理由』 99頁

可能性は数あれど、訪れる未来は一つしかない。

『僕たちにデスゲームが必要な理由』 102頁

最後に

誰かの影響で、人は前に進んでいく。この物語では、それが殺し合いという形で表現されていました。

現実の世界には、この物語のデスゲームのような、本気で自分の感情をぶつけられる対象というものがほとんど存在しません。

そういう意味では、夜の公園という場を与えられた彼らのことが少しうらやましい。

本当は、親をはじめとする大人たちが、悩める子供のぶつかる対象としての役割を負うことが理想なんだろうけれども。逃げる大人、正面から向き合おうとしない大人が多いわけで……。

作者の熱量というか、思いみたいなものが強く伝わってくる、とても印象深い作品でした。

水森や阿久津たちのこれからが、いまよりも少しでも良くなることを願うばかりです。

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