映画『すずめの戸締まり』感想と考察(ネタバレ有)

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映画

新海誠監督の最新作、『すずめの戸締まり』を観賞してきました!

少し前まではぶっちゃけ観に行く予定はなかったんだけど、テレビ放送された『君の名は。』と『天気の子』を見ていたらなんだか無性に行きたくなってしまって、公開日当日の朝一番、久しぶりに早起きして映画館に足を運びました。

いやー、すごかった。最後まで一瞬も目が離せない。

興奮冷め切らないうちに、感想を綴っておきたいと思います。まだ一回観ただけなので、読解力不足や見落としがあるかもしれません。

ネタバレしまくっているので、まだ観ていないよ、って人はご注意ください。

感想

災いをめぐるロードムービー

巨大な災いに立ち向かうすずめと草太の強さに、心揺さぶられる映画でした。

すずめや草太の覚悟に触れるシーンや幼いすずめのシーンなど、上映中に涙腺が何度緩んだたことか。

流れる映像も美しく、そして迫力に満ちており、すっかり映画の世界観に魅入ってしまいました。特に最初の温泉街の廃墟のシーン。人の営みが確かにあったのに、いまではすっかり捨てられてしまった場所。どことなくノスタルジックな空気感が漂い、心がざわつきました。一度金曜ロードショーの特別映像で目にしており、見るのは二度でしたが、それでもすっかり目を奪われてしまいました。もしかしたら、このシーンを見ていたから、映画館に行こうと思い立ったのかも。

映画館というスクリーンで、この物語を体験できたことがとても嬉しい。

本作の物語は、高校生のすずめが、扉を探しているという不思議な青年、草太に出会うところから動き始めます。

彼のあとを追い、廃墟に足を踏み入れたすずめ。そこで彼女は、災いをもたらす「後ろ戸」を見つけ、要石を抜いてしまう。

後ろ戸から出てきた災い“ミミズ”をなんとか消滅させることに成功したふたり。しかし、要石でもある不思議な猫「ダイジン」の力によって、草太の魂は木製の椅子に閉じ込められてしまう。

逃げ出した要石ダイジンを捕まえるため、そして開きかけている各地の後ろ戸を閉じるため、すずめと草太の長い長い旅が始まります。

地震という、日本人の記憶に深く刻み込まれている災害を登場させているためか、同じ災害を描いた『天気の子』よりもシリアスな雰囲気が色濃く感じられる物語でした。

コミカルなシーン、ほっこりするシーンはあるものの、序盤から主人公のすずめは重い使命を背負うことになり、終始どことなく暗い影が見え隠れします。

『君の名は。』や『天気の子』では、挿入歌とともに何気ない平穏な日常を早送りのように見せるシーンがありましたが、本作ではそういったシーンが登場しません。前2作では、主人公が過酷な運命に立ち向かうことになるまでに猶予があったのに対して、今作ではそういった余裕が与えられていないためでしょうか。

災いの封印が解け、知り合った青年は椅子になってしまい、肝心の要石は猫となって逃亡中。休んでいる暇はありません。

日常を早送りで見るシーンはけっこう好きだったので、それがなかったのは少し残念。RADWIMPSも前2作と比べると出番は少ない。

その反面、災いをめぐる疾走感あふれる展開が最後まで続きます。

宮崎から愛媛、神戸、東京、そして東北へ

要石を追いかけるすずめと草太の壮大な旅の途中では、さまざまな人との触れ合いが待っています。

特に草太の友人である、芹澤がいい奴すぎました。見かけは貧乏ホストっぽいチャラ男なのに、いなくなってしまった草太を探すため、片道7時間もかけてまですずめの旅をサポートします。すずめと叔母の環という、闇が深すぎる家族に翻弄される姿はほどよい清涼剤となりました。

貸している2万円を返してもらうためにも草太には戻ってきてもらわないと困る、といった感じのことを芹澤は言っていましたが、ラストで実は芹澤のほうが草太からお金を借りていることが明らかになり、ますます「おまえいい奴すぎるだろ」と心の中で突っ込む羽目に。

ちなみに芹澤の声優は神木隆之介さん。前2作品では立花瀧を演じていましたが、今作は別人の役。東京の町も水没していなかったから、『君の名は。』『天気の子』の世界観とはやっぱり繋がっていない模様。

すずめと草太

本作は災いを鎮めるという壮大なストーリーであると同時に、普通の高校生のすずめと閉じ師という不思議な家業を持つ草太との恋愛ストーリーでもあります。

とはいえ、前者の比重が大きいためか、すずめと草太がお互いを知り関係を深めていくシーンは気持ち少なめ。わずか数日のうちに、気づいたらお互い相手のことをめっちゃ大切な人と認識しています。草太の代わりに自分が要石となってもかまわない、と思うほどに。

一目惚れ、あるいは運命的な出会い、と言えばいいのか。出会って早々、“ミミズ”という災いに巻き込まれ、早々に運命共同体的なものになってしまった影響も大きいのかも。ただ、高望みするならばもう少し二人の交流の描写があればなー、と思いました。思わずにまにましてしまうような、手探りでゆっくりと距離を縮めていく過程、言うなれば初々しさ不足。

草太役を演じたSixTONESの松村北斗さんは、声優初挑戦らしい。アニメの声優に本業の声優さん以外を当てはめることに対してあまりいい思い出がないんですが、松村さんの声はいい感じにフィットしていました。耳にスッと入ってきて、心地よかったです。

草太は非常に紳士的で、閉じ師という特殊な家業を継いできたからか、大学生のわりには落ち着き払っていて達観しています。

「大切な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」という彼の言葉は印象的でした。誰にも気づかれることなく、感謝されることもなく、己の役目をただ黙々と続けてきた草太。

それが彼の強さである一方、弱さでもあったように感じます。東京を災いから守るため、一度は自分の生を諦めてしまう。

そんな彼が、もっと生きたい、と本心を吐露するシーンは、強く強く印象に残りました。

考察

僕はあまり映画を深く考察するだけの知識を持ち合わせておらず、そういった細かい解説はほかの方の感想を見ようと思っていますが、いくつか思いついたことを。

椅子が3本脚の理由

母の形見であり、草太の魂が閉じ込められた木製の椅子。4本あった脚のうち、1本はいつの間にかなくなってしまっており、作中では3本脚となっています。

常世という言葉が出てきたり、祝詞が唱えられたりと、『すずめの戸締まり』の背景には日本神話があると思われます。

日本神話、そして3本足ときいて、ふと八咫烏が思い浮かびました。日本神話にはあまり詳しくないんですが、軽く調べてみたところ、八咫烏はどうやら導きの神様であるらしい。

もしかしたら3本脚の椅子は、母親の喪失と震災という暗い記憶に囚われたすずめを、明るく希望に満ちた明日へと導く、遣いという意味が込められていたのかもしれない、そんなことを思いました。

こじつけがすぎるような気もしますが、思いついたのでとりあえず書き残しておきます。

草太の父親が登場しない理由

もうひとつ素人の考察を。

本作では、地震がミミズによって引き起こされています。そして、ミミズが現世に現れる起点である「後ろ戸」さえ無事に締めてしまえば、地震の発生を回避できるとも言われています。

そうなると、この世界で起きた東北大震災は、「後ろ戸」を閉じることができなかったために起きてしまった。そうは考えられないだろうか。

さらに草太の両親が登場しないことを深読みすると、ある仮説にたどり着きます。

草太が閉じ師、草太の祖父も閉じ師となれば、父親も同じ活動をしていたと考えるのが普通です。

震災が起きたとき、草太はまだ幼かったことを考えると、当時現役の閉じ師だったのは父親の可能性が高い。

震災の発生と父親の不在、ふたつを強引に結びつけて考えると、草太の父親が「後ろ戸」を閉じることに失敗してしまったのではないか。

……まあ、そのころは要石が機能していたはずなので、それほど大きなミミズが扉から出てきたのかと言われると疑問はありますし、父親が描かれなかったのは単に物語に不要だったからという単純な理由かもしれません。

要石ダイジンの目的

すずめの体力がすごすぎるとか、椅子になった草太の運動能力高すぎとか、細かく見るとツッコミどころがちょいちょいありましたが、一番消化するのに苦労したのはダイジンの行動原理ですね。

要石であるダイジンですが、結局のところなにがしたかったのか、観賞後もしばらく「これだ!」と手応えを感じる答えを探し当てられませんでした。

草太を椅子にし、自身は要石とならずに逃げ出した挙句、要石の役割を草太に移し、すずめに草太を犠牲にするよう脅しにも似た言葉を投げかける。物語をかき乱すトリックスターのように感じていましたが、終盤、実は「後ろ戸」が開きそうになっているところへすずめたちを案内していたことがわかります。

要石にされていたことを不満に思って、後ろ戸を開いて復讐していたのかと思いきやそうではなく。

では実はいい奴だったのかというと、「おまえは邪魔」と言って草太を椅子にしたことからもたぶん違くて。

で、しばらく考えた結果、以下のような結論に達しました。

ダイジンはすずめのことを気に入っており、そのためすずめと自分との関係に不要な草太を排除。

一方で、災いを封じる要石としての役割を完全に放棄することはせず、「後ろ戸」やミミズを認識できるすずめに、閉じ師の役割を任せるように。

ただし、災いの封印には要石がどうしても必要。でも自分がまた要石になってしまっては、すずめと一緒にいることができない。だからダイジンにとって大した価値のない草太を代わりの要石とすることで、自分は自由を得たままずっとすずめと一緒にいようと考えた。

ところが、草太を失ったことにより、すずめはダイジンを拒絶。そしてダイジンは力を失ってしまう。

断絶したすずめとダイジンの関係だったが、東北への旅を通して修復の兆しが。

そして最後はすずめの草太への想いを汲み取り、ダイジンは再び自身が要石となることを決意した。

……どうだろうか。

ちょっと自信がない。

あと要石に関しては、「サダイジンのほうはなんで勝手に抜けたの?」という疑問がある。一方の石が抜けたせいで、封印の力が弱まったから?

このあたりの考察は、もっと深く映画を観ている方に任せることにします。

いずれにせよ、善悪だけでは表せない、気まぐれで超常的な存在であったダイジン。

終始物語をかき乱す厄介な存在として描かれていたからこそ、ラストで「すずめの子になれなかった」と悲しそうに呟いた姿はいまでも強く脳裏に焼きついています。

最後に

現実の震災を物語に絡めるというのは、かなりの挑戦だったように思います。それだけに、新海誠監督の映画にかける想いを感じとれたような気がします。

不思議な青年との出会いから始まり、遠い九州から東北への長い旅路の果てに、己の過去を乗り越える。

多くの人との出会い、触れ合い、本音をぶつけ合う。

王道的なボーイミーツガールですが、幾重にも折り重なった要素が有機的に結びつき、最後は透き通るような気持ちになりました。

ありきたりな感想になってしまいましたが、心に深く残る物語でした。

コメント

  1. huku より:

    最後の方で すずめが 「自分が要石になる。」と言いました

    すずめが「自分が要石になる。」と言えるようにするために
    監督が出演依頼されたんだろうなと思います
    ダイジンでなければ すずめからこの言葉を引き出すことは出来なかったかと。

    今の時代 要石の役目をどちらか一方が引き受けるなんてことはないだろうと
    両方が交代で引き受けるというか 同じように要石のような役目を引き受けるのが良いかと

    一緒に生活を始める前に (出かける前に戸締りをするように) この点を
    ハッキリさせてから新生活をスタートさせるべきと言うのが主要テーマかと
    思います

  2. ライム ライム より:

    確かに「自分が要石になる」とすずめが決意するのも、それまでのダイジンの行動があってこそですね。
    生活するうえで要石のような役目をお互いが引き受ける――こんな着眼点があったとは!

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