デビュー作が芥川賞と直木賞の候補となった新人作家に、盗作疑惑が浮上した。世間の注目が集まる中、突如、渦中の作家が失踪し――。
今回ご紹介する『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論』は、小説や出版に関する謎が散りばめられた文学ミステリです。
芥川龍之介や太宰治など文豪の名前やエピソードが随所に登場。文学好きにはたまらない一冊となっています!
もちろん、文学に興味のない人でも十分楽しめる内容。かくいう私自身も、芥川龍之介や太宰治の作品は国語の教科書ぐらいでしか触れたことがありません。
著者は松岡圭祐先生。人の死なないミステリの傑作『万能鑑定士Q』シリーズや、バイオレンス味あふれ話題沸騰中の『高校事変』シリーズなど、多数の大ヒット作を生み出している方ですね。
ひとつの盗作疑惑から広まる謎。
思わぬ点と点が繋がり、驚きの真相が突きつけられます。
最後まで気が抜けず、とても面白かったです。
あらすじ
ラノベ作家の杉浦李奈は、新進気鋭の小説家・岩崎翔吾との雑誌対談に出席。テーマの「芥川龍之介と太宰治」について互いに意見を交わした。この企画がきっかけとなり、次作の帯に岩崎からの推薦文をもらえることになった李奈だったが、新作発表直前、岩崎の小説に盗作疑惑が持ち上がり、この件は白紙に。そればかりか、盗作騒動に端を発した、不可解な事件に巻き込まれていく……。真相は一体? 出版界を巡る文学ミステリ!
『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論』裏表紙
主な登場人物
- 杉浦李奈(すぎうらりな)……ラノベ作家。叔母にさまざまなお話を聞かせてもらって以来、読書好きになる。兄・航輝とは話すものの、両親とは不仲。『雨宮の優雅で怠惰な生活』でデビューし、最新作であるフードミステリー『トウモロコシの粒は偶数』の発売を目前に控える。ひょんなことから盗作疑惑の真相を追うことに
- 岩崎翔吾(いわさきしょうご)……駿望大学文学部講師。『黎明に至し暁暗』で華々しいデビューを飾る。ところが第二作目『エレメンタリー・ドクトリン』に盗作疑惑が浮上する
- 秋山颯人(あきやまはやと)……フリーライター。対談の進行役を務める
- 嶋貫克樹(しまぬきかつき)……小説家。デビュー作『陽射しは明日を紡ぐ』が、岩崎の2作目と酷似する
感想
リアルな新人作家の日常
本書の特徴の一つは、なんといっても出版界の微に入り細を穿つ描写の妙!
新人作家に対する出版社の扱いの雑さや、印税にまつわる話など、小説家のリアルな様子が描かれています。
小説を読むことはあっても、小説家と出版社のやりとりなどの裏側を覗き見る機会はそうそうないので、非常に興味深く読めました。
出版契約書を交わすのは本が発売されたあとというのはなかなか酷な話。発売されるまでは小説家と出版社の信頼関係だけで進めている、そんなグレーな事情も垣間見ることができます。
小説家の印税は気になるところですが、初版2000部だと20万いくかいかないかぐらいだそう。一般サラリーマンの1ヶ月の給料とどっこいどっこい。専業作家にはなるな、と言われている理由がこれですね。確かに1冊出して20万そこらしかもらえなかったら、2冊、3冊と出し続けなければ安定した生活は送れません。
小説家と聞くと、優雅な印税生活! のイメージがなんとなく強いですが、昨今の出版不況も相まってか、まったくそんなことはない様子。むしろ、いつスランプに陥って出版社に見放されるか不安でたまらない、なんてことになるぐらいだったら、普通にサラリーマンをやっていたほうが精神的にもよさそう。
主人公の李奈も、就職が嫌だったからとか昼間でずっと寝ていたかったからといったささいな動機で小説家の道を選んではみたものの、現実はまるで正反対だったと愚痴っています。取材や売り込みに奔走し、気遣いこそが唯一の武器。
デビュー後、2作目を描き上げられずに消えていく小説家が多いことを考えると、3冊目を上梓できた李奈はそれなりに優秀だと思われます。が、それでも苦労ばかりしているところを見ると、執筆業に対して抱いていたイメージがガラガラと崩れ落ちていくような感覚になりました。世知辛い。
小説家の厳しい現実を突きつけてくる作品です。
ちなみに松岡先生は、2021年3月に新潮新書から、小説の書き方や小説家として生きていく術を書いた『小説家になって億を稼ごう』を出版しています。よりリアルな小説家事情を知りたい方は、こちらの本もおすすめ。
事件とリンクする文豪たちのエピソード
物語は、杉浦李奈と岩崎翔吾との対談から幕を開けます。
テーマは芥川龍之介と太宰治について。
代表作の名前や太宰が自殺したことなどは知っていましたが、芥川と太宰がそれぞれ伯母、叔母に育てられたことなどは初めて知りました。
マズローの欲求五段階説に基づいて作家の心理を分析するシーンも読み応え十分。
特に印象深かったのは、芥川龍之介に盗作疑惑があったことです。『蜘蛛の糸』や『トロッコ』に関する論争は有名で、『闇中問答』については芥川自身も剽窃を認めているとか。
文豪と盗作、にわかには結びつけ難い。そのため、小さくない衝撃を受けました。
本書の面白いところは、そういった文豪のエピソードと作中で起こる事件とが密接にリンクしている点です。
盗作に手を染めたと芥川龍之介に厳しい目を向けていた岩崎。そんな彼に盗作疑惑が生まれたのはなぜか?
ただ単に作品名が羅列されているだけだったり、文学に関する蘊蓄が披露されるだけで終わったりしていないからこそ、物語に奥行きが感じられました。
『パンドラの匣』『ある偽作家の生涯』『夏の砦』――本書で登場した作品たちを読んでみたくなります。
ライトノベル作家からノンフィクション作家に? 杉浦李奈の成長
講談社で行われた対談をきっかけに、新刊の帯の推薦文を岩崎に書いてもらうことになった李奈。
ところが見本本が自宅に届いた直後、李奈を衝撃が襲います。
なんと、岩崎の2作目に盗作疑惑が持ち上がったのです。
当然、岩崎の推薦文が載った帯は回収。李奈の新刊は発売されるも、新宿紀伊國屋本店では平積みされることなく棚に2冊収まっているだけ。
そんな中、担当編集者の菊池から、盗作騒動についてのノンフィクション本を出さないかと相談を受けました。ルポライターへの転身を突然迫られた李奈は呆然とするものの、渋々承諾。そして、彼女の真相究明の旅が始まります。
もともと両親の薄い愛情のもとで育った李奈。そんな彼女の楽しみは、叔母からたくさんの物語を聞かせてもらうことでした。この経験から読書好きとなった李奈は、やがて物語を自分で書くように。
出版関係者、大学生、大御所作家、刑事。真相を探る過程で多くの人と出会い言葉を交わすうちに、李奈はたくさんのことを学び、広い視野を持つようになります。
終盤、とある人物が李奈に語った私小説に関するくだりは、胸にしみるものがありました。
本書はミステリであり、李奈の成長を綴った物語でもあります。
他人と関わることで多くの気づきを得た李奈が、今後どのような物語を描いていくのか。とても楽しみです。
最後に
松岡先生の作品にハマったのは、『高校事変』がきっかけでした。今年の春には『万能鑑定士Q』シリーズ22巻(クロスオーバー作品『探偵の鑑定』シリーズを含めると24巻)をすべてそろえ、一気に読破。
二転三転する構成、魅力的な謎、随所に挟まれる雑学、どれも読者の興味を引きつけて離しません。
松岡先生の作品では、現実で起こった事件が巧みに小説の世界の中に組み込まれています。ほかにも、カクヨムからデビューしたくだりや盗作騒動が進展するにつれて関係書籍のAmazonレビューが変動する描写は、リアリティに富んでいて面白い。
フィクションでありながらまるで現実の一部のように錯覚してしまう、そんな魅力的な世界観の構成にはいつも驚かされます。
李奈が追い求め、そして明らかになった盗作疑惑の真相はあまりに醜悪で、背筋が寒くなりました。
2021年12月21日には『杉浦李奈の推論』の2巻が発売されるとのこと。
ライトノベル作家並みの刊行スピードですね。
12月が待ち遠しい。
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